いつも過去と未来の

日記を書くことや、ToDoリストをすぐに作りたがる。


何をしたか(過去)と何をするか(未来)を対象化したがるってことなんだけども、ときどき、”あれっ?いま自分ってなにをするんだったっけ??”って立ち尽くすときがある。これが毎回けっこう新鮮で不安になる感覚なのだよ。誰だよ。

いつも”何をしたか”と”何をするか”について自覚的であり、対象化できるモノとして外側に移しているから、今というものがどういう感覚かが薄い気がしている。しかしそもそも、私以外の人も今というものを感じることはあまり無いんじゃないか。

その一方で先ほど言った、分からなくなって立ち尽くすときというのが、私にとって強く今を意識させるものなのだけれど、似た感覚で言うと、音ゲーをやっているときにノーツが速過ぎたり、動きが把握できなくて処理が出来ずにパンクしているときに近い。もしくは、カイジの鉄塔渡りみたいに、落ちたら死ぬ平均台に居る感覚か。ただこれって福本信行が発想した過去、今、未来を先送りにした人々に、今に全てを強烈に集約させ自覚させる舞台だから、当然すぎる例えでちょっとつまらない。

そう、それで”今”についての話なんだが、シャニマスの浅倉透には”今”が強烈に与えられているように思うんだ。彼女を思い出せば、海岸沿いを歩きながら夕陽をバックライトに風の強さに笑っていたり、背後には川の水面に反射する日光が眩しく、何かを見つめている横顔が現れる。その情景や美しさはその空間の現在性がもたらしているよ。いや、知らんけど。

シャニマスのイベントコミュに、彼女のクラスの委員長と協力して何かイベントを成し遂げる話があった。何だったっけ?アイドルである彼女には、距離のある殿上人のように扱うクラスメイト及び委員長だが、浅倉透にはそんなことは通用しない、というより、彼女の眼中に入らないコンテクストなんだ。神が居たとしたら、それは日本の神かもしれないが、アイドルになってしまったとしたら、周りの人を及び腰にさせたり、”○○として扱わなければならない”のような雰囲気を発生させる。彼女は当然のように話しかけるし、疑問を投げかける、その一言一言が、“今”どうなのかという真実を暴くような問いかけのようにも思えたんだよ。福丸小糸、フクマルコイト(鳴き声)。

ノクチルの中では福丸小糸さんが委員長と話したら、なぁなぁの会話をするだろうか。しかし、彼女なかには幼馴染の三英雄が居るから、透ちゃんみたいに(x2)コミュニケーション、私らしくでしかできないけど、何かを伝えよう。という姿勢でコミュニケーションするだろう。タブン。しかし一方の我々、物語外の曖昧な社会に存在する虚無虚無しいコミュニケーションには、過去と未来にもたれかかって今の話を全くしないというものがある。


何が言いたいかって、問いかけて”真実を突き付けたり”、”真実に目を向けろ”という意味を他者に感じさせてしまう彼女のコミュニケーション、彼女のカリスマ性というものや不思議な雰囲気は、よく言えば彼女が今を捉えているから、観点を換えて言い換えれば、今に埋没して、過去と未来の支柱を失って今に霧散してしまいそうな儚さを抱えているからこそ在るってことなんだよ。

 

でなんだったっけ。自分は過去を書いて何をしたか把握して安心したり、未来に何をすべきかを確認してそれが上手くいく、上手くいかないときの両方を念頭に入れて安心しているんだが、なんて矮小なんだって悲しくなるね。というのも、今を突き付けられるのが分からなくなって不安になるときなんだから。

まぁただ、時に今アクションを起こせ!だとか、今○○を出来る状態であれ!という環境に居たとき、たいてい身は動く。そのときに体が動いてくれることがほんとうにうれしく思うし、そのような状態がやってきてしまうなら歓迎したい。しかし、自分から求めて行くのは違う。それはそうとして過去と未来についていつも書き記している。無駄な時間のようにも思うが、こればっかりは癖だ。情けないように思えるが、じゃなかったとして何をするっていうんだとも思う。

文章を書いていたら眠くなってきた気がする。ありがたいね、睡魔。眠気。与えられるもので、褒美みたいに解釈している。自動詞みたいに生まれるものなんだろうか。けど、“独りでに”というニュアンスのある自動詞的解釈は根本がどこにあってその動作が発生するのかが分からない。けれども、眠気を自分の外側にあるとするのは、眠れない人間の臆病な悪い癖のようにも思う。それでも、眠気は生まれるものだよだなんて、幸福な思い込みに過ぎないって言いたくなっちゃうね。少なくとも他者としていてくれたら、そのそばで眠気を伝播させてね、一緒に寝たいものだね。