最近はいろいろ描いていた

といってもべつに自然とか動物とか描いていたわけじゃなく、人間をまた人体解剖図から描いたり、パースについて学んだり・・・とかで、いつも通りか。
定期的に「広角 焦点距離」とか「広角 歪み」とか、「魚眼 望遠 パース」とか適当に調べているんだけども、いつまで経っても根本的な所に収まる気配がない。ただ、なんだかんだ知識がついて、あと、広角の時にありがちなパース線とか、望遠の時になりがちな停滞した画面感覚・・・みたいな風に受験暗記的セット覚えで身に着いている部分がある。


真乃さんはいつ描いたって良い。今回は輪郭を少し丸く描いたのと、出来るだけ髪の構造を意識しつつ、毛束が最後に分かれて外側に開く感じを意識した。

しかし、髪の影の塗りが一向に分からない。顔周辺は立体感が無い方がいいみたいな話の一部に前髪とかの塗りは立体的だと、というかごちゃごちゃしていると見た目がはっきりしなくて良くないみたいな感じだろうか。

それは別に全体として顔のディテールをかくようにしたり、デフォルメの値を寄せれば髪も顔をどれだけ詳細に立体的に細かく影を差しても良いんだろうが、器用さと意志力が足りない。

最近は取り敢えず顔を描いたりとか、こういう目つきでこういう髪型って良いよな~みたいな感じで想像の範囲でフリードローイングをしていた。また今度ファッション雑誌というか、顔雑誌みたいなものがあれば、好きなものを模写したりしたいところだ。

 

実際のところ、私には今一定の力があるはずだ。これは別に鼓舞でもなく、資料を見て、描きたいイメージがあって、エネルギーが整えば描けるものは有るはずだ。しかし、どうも常にどこかがずれている。描きたいキャラクターは居るのに。

 

自然と目が覚める幸福



 

今日の朝か昼までくらい眠れなくてipadを広げた。髪を描くことを意識して描いていた。学校の先生っぽい。絶妙にダサいインナーとかカーディガンは学校教育業界の証。

 

髪はミクロに見れば一本一本存在していて、それは円柱か?先は尖っているのか。

しかしそうとするのは難しい。ミクロの円柱という捉え方で描ききる精神力があれば別かもしれないが。ミクロの円柱とし、先に集まる性質や、くねるという性質があるとする。それがどのように流れるのか蠢くのか、自由に描いて良いとして、これは楽しく喜んでいいところなんだろう。実際は笹の葉とかに例えられたりして。髪は一定部分から生え、集まって一点に収束する性質からその区分けにされた笹部分を適宜描いてまとめたりとか、ただ、それらしく見える方法は無数にあって描きたいイメージに対応して選べばよい気がする。脳みそに力が入らないというか、ディティールに精神力と指先の集中力が届かないときがある。そういうときばかりだが、逆もときに訪れる。髪の塗りはモロにその集中力に左右される。かんたんな塗りをしたら良いというのに、その学びさえ怠っている気がする。

 

先ほど起きた。いつもは昼前に寝て夕方前に起きるのだが、友人との約束で昼過ぎに飯の約束があったため、それから帰宅して5時間ほど寝て今に至る。別にもう眠くなく、快調とは言わないが、眠気が無いのでいい。同じ時間寝ても眠くて仕方ない時があるが、そういう時に自分のギアを無理に替えて服を急いで着替えたり外出するのは最も嫌いなことの一つだ。まどろみの中で自然と目が覚めるのが良く、もう一度寝れたって良い。ここ数日はやはりうっすらと体調が悪く、今は口内炎の痛さで飯を食うことに萎えている。先ほど開いたままの炊飯器の中に米たちが固まっていた。炊飯器の閉まる返しが最近よく外れる気がする。それともただ自分が忘れているだけか。

文章を書きながらやるべきことを思い出していた。別に特に無いのだけど、ひとつ思いついた物語と描きたいシーンがあり、そこに存在する葛藤や現実的かどうかを検証することをこれからボチボチしようと思う。描きたいシーンはポルノみたいなもので(ポルノそのものではない)、現実にある困難を前提にした、それを越す、もしくは展開させた面白さを楽しむものだ。現実の困難は鎮座していて、その先が見えずずっと自分たちを監視している塔みたいだ。思いつくとツッコミどころが多いのだが、どこまで現実というか納得感を付与するかというか、物語を読むときのひっかかりにしないかと考えていると難しい。別になんだこの世界観!?って1話で違和感の塊のまま見ることだってあるから、ただ進行させるべきなのかもしれないが。

とりあえず今日の目標として、家事をまず行い30分の基礎練習と前々から行いたかった成人向け漫画の作成について何かが出来たら良いな。いつも物語の目新しさや自分にとっての面白さを付与したがるのだが、それでエロ漫画らしさが消えたりすると、おれはなんてアホやったんや…ってなる。シナリオになにもひねりがない、自分にとってのフェチズムを表したものをまず用意しようか。

耳の違和感を停滞の理由とする!

感覚器官の異常が自律神経を狂わせていて、風邪。冬になり、気候が変わり、フライト中の気圧差で鼓膜を傷つけて、体が萎えている。本当はいろいろな事をしたかったのだが、今日は先ほどまで3,4時間ほど寝ていて、朝も寝ていたので、本当に何もしていない。Uberで飯を頼んで食ったくらい。休むという点では目的を順調に果たしている。ただ、今日の朝は歌の練習がしたかったし、フードデリバリーは節制のためにしないようにしていたので少し本意を果せずに嫌な気持ちだ。

 

昨日は深夜に絵を描こうと思ったのだが、自律神経の乱れからか、いろいろな事に苛立ってしまい、作業に集中できなかった。久しぶりにどうしようもない日々の中に居る。Twitchで過去配信を流しながら寝た。

 

起きて今ブログを書くわけだが、そろそろ前々から言っていた、絵について、ほしい技術を獲得するまでの過程をレポートするブログ記事を書きたい。

他にも
・現実の風景、写真、画像を漫画背景にコンバートしたり

・キャラクターのデフォルメ絵を研究したりとか、

・コマ割り、画角(無知)

・画面に写す小物を描くための方法

・髪の塗り

・反射光を有効に使う

ざっと思いつくことでいろいろと並べられるが、把握すること以上に自分を何かを獲得する実行の中に思い切って投げ入ることのほうがよっぽど大事なんじゃないか。

ということでこれは一旦終わり、作業をしよう。
あと、アキバ冥途戦争を見た。ちゃんと凝視して見たわけじゃないが、見ることが出来た。今度感想を書こう

コンディションの良さをいつも浪費してきた

今日は19時くらいまでゲームをしていた。学んだことがいくつかある。
・その日に覚えられることは限られている

・今持っている選択肢を有効に使うことで勝率は上がる

・今持っていない選択肢は無理に引き出せない、持っていない選択肢を選択すると有効に働かない。

・持っていない選択肢を習得するのには地道な練習と定期的な実践が必要

・相手のプレイをよく見て、対抗策を考える必要が有る

・ひとつひとつの動きに区切りを見出すべき。それぞれに対抗があり、自分には選択肢が与えられていたことを知るべき

・プレイそのもの、操作そのものに慣れていないことが敗因と感じるとき、想定する動きが出来ないことを受け入れて、現時点で行える内で想定できる理想的な動きも考えるべき。

・対面は人である。通る動きを繰り返す。持っている選択肢は有限である。動きに対する解答をすることで相手の選択肢を潰すことが出来る。

・解答を知っているが、体が間に合って動かない場合、次善の動きをしてもいい。持っていない選択肢を覚えておいて基礎練習に戻ると良い。

・上手くなる必要は無い

 

ゲームをしているといろいろな事を考える。負けると悔しくて仕方ない。もっとも苛立つのは想定した動きが実際に出来ないことだ。自分の内部で最高の動きが行えて負けるときは、疑問だけが残る。なぜ負けたのか?相手の動きはどうなっているのか。自分は何をしていたのか?リプレイを見直して全てを確認したい。いろいろな事が頭を巡るが、結果として表れるのは相手の有効な動きに翻弄され、蹂躙される結果だけだ。机やキーボードを叩く。情けない。

 

sf6を始めたのはきっと自分の中のタスク消化と暇を勘案した結果だろう。きっかけは最近は関わりの無かった格ゲー好きの友人とこの前LoLで遊んだことだ。疎遠な、といっても疎遠にしているのは、私の人間関係に不安症な態度からだからなのだが。

急な思い出だが、成人式に行くとふだんの友人は居なかった。そいつが居たが、コミュニティが違ったので挨拶だけをした。みんな友人内だけで行うと言っていた。私は居場所が無くて行く気がなく、実際に居場所はなかった。書くことが乱雑に拡散していく。

 

絵を描くんだった、何故か文章を書いている。文章を書くのはお茶を飲んだり、ご飯を食べたり、それくらいの動機にある。音楽を聞くのとは違う。何か書き表わして網羅するべきという指示が自分の中にあり、私はこれを行わなければならない。

 

絵を描くためにいくつか自分の中のもやもやをはっきりさせる必要が有るように感じる。それに都度悩んでいる。郁田はるきさんが、”わかります。ただ、そのもやもやと一緒に絵を描くのも、楽しいんじゃないでしょうか?”って脳内で言っていた。ちなみに郁田さんの”郁”の意味は以下で、意味が面白い。

 

 

なぜサジェストにうつ病が…?
香りってすごく文化的でファッショネイブルで、特定の人々にとってはすべての意味であるんだろうなと思える。香りはすぐに意味へ変換される。香りは快・不快にすぐ判断される。いいね!わるいね!最高、最悪、アゲ、サゲみたいなのって、珍しく社会で許されている至上主義的なワードに思える。何の話だ…?

 

早く絵を描かねば、尻込みしている。一寸先は闇か、絵を描くことって何をすることだ?はるきさんが私の右手を支えて一緒にキャンパスに筆を乗せる。ちょっとズルかもしれないですけど、これも楽しいですねってね。絵を描くことはいつも孤独に何かを見出すように、失われ続けている情報の中で何かを手繰るように表すことのように感じているが、それはむしろ、失われ続けている情報の中で何かを手繰りたくて、私は絵を描くのか。もしくは、失われ続けている情報の中にこそ自分が居ると思うのか。

微笑むはるきさんを描きたくてipadを開けたら、applepencilの充電が無かった。無念・・・。この間に晩御飯(朝ご飯)でもつくろうか。飯は生きるための時限爆弾みたいな、タワーディフェンスゲームにおける定期的に対処しないといけない敵みたいな、そういう嫌さがある。勿論、美味しいご飯をたべるのは楽しいが、それでも。可能ならONOFF式にしたい。今はどう絵を描くか、どのような過程で研究をするか、そういったことが主眼で、他のことに気を煩わされたくない。

洋館兼博物館みたいなところに行った時に、むかしの肖像画が書かれた空間みたいだねって椅子に座った。もう少しエネルギーと描き方の知識と資料集めが出来たらこういう絵もう少しまともに描けるだろうか光や陰に秩序を持ちたい

 

今日は旅の片付けの日。

本来は朝に起きたかった。実際は昼前に起き、ちゃんと8時間弱くらい寝ていた。

パスポートの申請にあたり銀行に寄る必要があり、市役所の込み具合が不明であることと、もし昼以降に赴くとなると大学の講義があることから、やはり早朝からの活動が良いと。

結局は全て上手くいった。大学の講義は大学祭の準備期間だかで休講で、午後から市役所に向かいパスポートを受け取り、帰宅してestaというアメリカのビザを申請した。昔行った時はやらなかったが、当時20歳あるかないかくらいであったから、親がやったのか。こういう頼んでもいないのに親が勝手にやってしまう行政、学校関係の書類っていうのは社会に出ると急にたくさん前面に表れる。

それにまつわり思い出したが、私の友人の母は文字が上手く読めず、その子は小学生のころから全部自分でやっていたという。大変だったと言うが、経験が与えられたとも思えた。

 

まだ耳に違和感がある。ずっと気になって仕方がない。ときどき目が見えなくなったり耳が聞こえなくなったら、と考えるがどちらかさえ残ってくれたらいいなとも思うし、失くすなら両方かもしれないとも思う。点字で本を読む生活でもしようか。

 

この日記はなんだ・・・。何もテーマが無い。あるとしたら日記ということで、ということだ・・・。そういう日なのだ…、そう、そういう日!!
今日は起きて旅の間着た服の洗濯をした。ずっと着ていた上着には感謝があった。市役所から帰ったら洗濯物を干した。スーパーに行き、肉、餃子、小松菜、ごぼう、等々買った。最近はセルフレジに行く人が多く、逆に有人レジが空いている。君たち…?

届いていた手紙やチラシをまとめて捨てた。明日はゴミの日だったので、先ほどゴミ出しをしてきた。少しだけ絵を描いた。褐色というか日焼けというか、そういった色の肌の塗について少し悩んでいた。後、髪の塗りをそろそろ型を学ぶべき、あるいは探し出すべきだと決心した。やるぞ。

LoLのレートが高レートになったため、プレイしないとポイントが減衰してランクが落ちるようになっていたので1プレイだけした。勝利した。5v5のゲームだが、私の居るボットレーンとジャングルは順調だったが、そのため逆に敵の集中攻撃をミッドとトップが被ることになってしまい、トップレーンの人は愚痴を言ったり、自分にチャットで攻撃をしてきた。いや実際のところ、君たちは何もしなければもっと楽に勝てたが。

しかし、そんなことはないから、そんなことはないのだ。どうしようもない味方と一緒に苦しみながら勝利を目指すのがチームゲームだ。少なくともレートは嘘をつかないし、同じ穴の狢、同じレート帯だ。

最後にジャングラーがwe are teamと言っていて、本当にその通りだ。我々はチームであり、勝つために戦う。チームの中で苦しみ、耐えるものと、それを無碍にしないようにチームをキャリーする人が居る。それだけの話だ。

突然LoLの話を長々としてしまった。やはりいいゲームだ。この良さはあまりにもいろいろな意味や感情を包括し過ぎているが。

 

今日は旅から帰って安定する日としたが、机の上にコンタクトのケースや整髪料が置いてあり、まだ完璧に片付けられてはいなかった。日記を書き終えたらやろう。

 

昔からそうなんだが、何を始めるにしても意気込んでしまうような、勉強とか自分にとって大切な絵の練習といったものは、部屋の掃除や快適な空間を用意しなければまず始められない。だから部屋の掃除を快適な空間を必死に作るしかないんだ。快適さというものに脅されているみたいに、丁寧な生活をするのはひとつ綻べば全てが崩れ去ってしまうから。ねえ、世界って正常だよね?って涙ぐみながら虚像を精一杯瞳孔の中に結ぼうとしている幼馴染が居た。

 

後何かするべきことはあるだろうか?床の清掃か?服を畳むことか?米を炊くことか?

今、講義のプリントをまとめ、証明写真を棚に仕舞い、整髪料を箱に仕舞った。机の上はLoLのチャンプについて研究したメモ用紙とコップだけだ。

もう明日に行ってもいいだろうか…?何か忘れていないか…?

現実にメニュー画面やミッション一覧、タスク一覧が欲しいぜ。

フライトは好調、毎度落ちるんじゃないかと

フライトが遅れ、と言っても20分もないくらいだが、飛行機内での退屈な時間が延びた。眠くないわけでもないが、3時間のフライトの間ずっと眠れるほどではなかった。また、私が座るのは機体左側、三席あるうちの通路側で、窓側には隣2人が歳若い姉妹であったから、お手洗い大丈夫だろうか、とか、席変わってほしがらないだろうかとか、色々と思って少し機微を伺いながらのフライトだった。何もなかったが、キャビンアテンダントがお手洗い大丈夫かを聞いていた。仕事人だ。

またもや眠れなくて夜に文章を書いている。こういった夜たちは昼過ぎに軽く寝ているのなら、受け容れるべきか。ただまぁ、夜に眠れると良いなと思い続けている。

 

数十分くらいフライト中に眠っていた。心地よく眠れる椅子では無いからすぐ起きるのだが、暇なフライトが少しでも短く感じれるのはうれしい。絵を描こうとも思ったが、やはり後ろの視線が未知の中で絵を描くことは難しい。

寝ていたから眠れないのか。そうは言っても明日は早起きで銀行や市役所に行かねばならない。難儀だ。まぁそれらの行為は大して苦しくないのでできるが、明日の自分が少しでも苦しくなくスムーズに起きたり出掛けられたら良い。

 

フライト終わり、着陸のために飛行機がどんどんと降下していき、気圧が変わる度合いに応じて耳が痛くなる。前回ダイビングのアクティビティに行った時に、耳を負傷したことを思い出す。新人ガイドによる案内の不足、体力不足、耳抜きの適正の低さ等から耳が痛すぎて、もし無理に深くまで潜れば死ぬ気がしてアクティビティに含まれていた2度目のダイビングを途中で終えて船に上がったんだった。どうでもいい記憶だが、船上は不安定で海の匂いがずっとしていて、べつにそれは思い出深くもなく、ただべとついて日陰で横になりたかった。降下中痛い耳と共にそれを思い出した。耳抜きをすると鼓膜が傷ついた音がした。

すごく不愉快だ。衛生的には良いことだが機内は換気され続けていて、私の鼻と喉は乾燥し鼻炎が加速するし、耳はずっとつんざくように痛い。痛みの周期が高みに触れる度にじんわりと涙がにじむ。帰宅してから賭けのごとく耳抜きをしたり、鼻をかんだり、耳点滴をしたりしてようやく落ち着いてきた。そんなこんなで3時になってしまった。

 

本当はもっとすることが有るし、書くべきこともある。さきほど落書きをして、もっとダイナミックな絵を描きたいと思った。またそれについて計画と練習をしよう。いずれにしても旅から帰って一度いろいろな事をリセットするために寝たいのだが、体はそうじゃないみたいだ。

何かを考えたい、が、ボーっとしていて、うっすらと空腹な気もしていて、眠気が無いわけでもない。諦めて適当に時間を過ごすことを許そう。

眠れない夜に文章を

書くわけなんですが、眠れない理由について書いていたら本当に無意味な文章を500字くらい書いて消してしまった。あ〜それも良くないな〜。そういうのも書くって言った気がするのに。眠れない時には何か考えたくて、けど考えていることを意識はできない。習慣の力でブルドーザーみたいに根っこから不安のような考えを取り去るにも不安のある脳じゃ習慣は取り込めなくね?みたいな話を書いていた気する。じゃあ終わりだよ!って話でもなくて、習慣を取り込む訓練が出来るよねって感じだが、くだらないライフハックに思えてきた。そんな話をしたいわけじゃない。少なくとも今の私が文章を打つように、キーボードを打つこの手の運動や、脳の思考と文章が繋がり形を残せることが脳に良い。この良い暇つぶしを私は気に入っていて、眠れなくても、明日朝起きれなくても、文章を作りある程度疲れて眠るのは、悪く無い心地だ。

 

そういえば、眠れないということを覚悟して、文章を書くぞと思いたつと、私は温かい飲み物が欲しくなってコンビニに行った。そこでは外国人の観光客らがセルフレジに困惑していた。(実際向こうの方が進んでいるように思えるが、セルフレジ画面のUIと言葉の意味がわからないからだろうか?)少し声をかけて品出ししている店員さんにあのお客さんを助けてあげて的なことをざっくりと行ったら話しかけられた驚きでか棚に頭をぶつけていて、悪いことをしてしまったな〜と思った。ふわふわしたサンドイッチの棚だから重く無いかもしれないが、意識していないものにぶつかる痛みって独特の衝撃があってイヤだろうと思う。店員として感謝をされたが全てを放置して俺の仕事をさせろよと思っているかもしれない。まあいいか。と思う反面、深夜コンビニの店員をしている人の境遇や境地というものをあまり知らないので、いや、あぁ。なんとも言えない申し訳なさと考えの届かなさに辟易する。

 

何を考えたかったんだったか、それさえもうまく意識できないが、色々ある。

大きくは自分のマンガ制作という一連の手続きを行うことが下手だったということだ。作った回数が少なすぎる、経験不足が原因と言えばたいてい事実だろうが、もっとさまざまな問題があるはずだ。しかし、それでもそれらを知るには経験が不足しているんだろうか。堂々巡りだ。

思い出すこととして、ええと、例えば、マンガ制作をテスト勉強と同じと仮定すれば、取り掛かりが遅すぎて取り掛かった時には進行スピードとテスト日が間に合わないことに気づいた。この例えは必要か?私がすごく同じように感じたから私は例えを用いたのか?
前回はそもそも数日間の作業で8pも作れたんだぜ!みたいなのがあって、あれはもはやそれだけで成果のみであると言い張れるものだった。能天気なことだ。でも、良い。良い。

それで次回も同じように背に腹は抱えられない方式で限界の日程で作業したら手が動くだろうという計画で今回を行ったんだった。じゃあ成功だろうか、部分的にはそうだが、やはりそもそもの漫画制作の目標に適っていないように思えた。そこが見えたという点では成功なのか?

 

やはり果てしないものを作りたいのだ。
これは曖昧すぎる。でも、しかし、少なくとも、ディテールを詰め切って、読者に景色を共有でき得るものを作成したい。キャラクターの可愛さや美しさ、描写される世界の緻密さ、カメラワークの美しさ、そういったものが私にとって漫画が漫画であるということだ。今の時点では無意味な咆哮のように思えた。

 

少し眠くなった。内容を書かずに、考えたかったことをメモとして残そう。

マンガ制作については、次回の課題は一つの制作に時間を注ぐこと、その方法について。

背景デッサン、パースの体感。登場する小物や物体を1つ1つ意識すること。地道な資料集め。

キャラクターが話し合っている場面が続く時、キャラを色々な向きで描いたり、画面が表情や動作を変えるだけのコマになってつまらないんじゃないかという懸念。好きなマンガはどのような画面になっているかの確認。自分はマンガを読む時どういうところに快楽を感じている?その一方で自分の制作物がそれを目的にしたものであるべき理由もないかもしれない。

マンガに登場させるていでキャラクターを描く練習

世界を漫画の背景として使う時の解釈の練習

無限に思い付かれる。全部実践することは至難だが、一部でも次までに行いたい。全てを行う自分であってくれないだろうか。

 

あと、絵をもっと気楽に描いて良いのかもしれないと思った。とか毎度言ってるか。歌を歌うみたいに、黒髪セーターメガネ、目元のホクロ、まつ毛長くて、超美人〜。みたいな歌を歌うみたいに絵を描こうかな。

短髪、水色の髪、白色のセーラー、アニメチックな体型でギター持ってる〜♪

楽しくなってきた・・・。寝ようかな

しかし一度見返すと、なんて微妙に長い文章だ。日記とかTwitterしない人間の、“書くことなんて無いですよねって”テンションと発言を時々見るが、書いてるあなたはアホや!みたいに思えてきた・・・。けど独り言するみたいに文章打ってるだけなんや・・・。じゃあなんで独り言や脳内の思考で済まさないかって、なんでなんだろうな。また今度考えよう。