映画『ゆるキャン△』の感想とか、

冒頭のシーンが過ぎると志摩リンは名古屋で働いているようで、
彼女が通勤する道には、私もよく見たが、未だによく分かっていないモニュメントがあった。

知っている場所がアニメの背景美術となっていると嬉しい。ただ、飽いているくらいになじみある場所がアニメに納められていることへの違和感がある。
アニメ空間になることができる空間はあったのに、それに付いてきているはずのアニメそのものは私のまわりの現実のどこにあったんだ?

飛翔って名前らしい

 

 

 志摩リンは雑誌の編集者になっていた。表紙に、わかりやすいピンクとか黄色のフォントで『電車でぶらり旅』とか、『話題の○○スイーツ』とかそういうのが載ってるローカルな雑誌っぽい。

良いな~。
そういえば映画『ゆるキャン△』において、野クルのみんなの年齢って…?
映画は10年後くらいらしい。高校生が15~18歳だから、映画では25~28?
丁度じぶんと同じか数年後くらいみたいだ。

 

公式サイトから


斉藤恵那は横浜でトリマー、志摩リンは名古屋で編集者、各務原なでしこは東京でアウトドア用品店、犬山あおいは山梨で教員、大垣千秋は東京でイベンター→山梨で観光系。みんな有名な土地に居る。

静岡に山脈があるのか、きもち名古屋から山梨って遠い。ただ、作中の志摩リンはバイクの運転を楽しんでいた。

 

あ!そういえば静岡県を見てて思い出したんだけど、ハンバーグ食いにさわやか行きたいな!今年でも来年でも!

 

大垣としまりんが居酒屋で飲んでた。正妻は各務原なでしこなんだが。そういう話じゃないね。

いやむしろそういう話なんだけど、原作で、しまりんは大垣のノリが苦手と言っていたはず。その二人が居酒屋で飲んでいるというのが意外で面白い。高校生のときにしまりん&大垣で飯に行くことなんて無かっただろうに、歳をとると話をしよう!とか、久しぶりに会おう!となると居酒屋になって一緒に飯を食うことになるね。別に居酒屋に食べたいものは無いが。
大垣は名古屋名物の手羽先を食べていた。あるわ。
言うてみんなで会うのは3年ぶりらしいが、3年ぶりなんだが、しまりんに大垣は酔った状態で絡みついてきて、しまりんは許していないぞという表情で、許していた。

余った土地開発の仕事を持った大垣がキャンプ場にしたいと思っていたが、きっと1人では達成しないと思ったのかもしれない。キャンプ化計画が駆動するためには、キャンプという装置を駆動させてきたしまりんが必要だと感づいていて、名古屋に引き付けられたように見える。ゆるキャン△世界において、キャンプが人を繋いでいたが、そのキャンプそのものに薪をくべていたのは志摩リンだったなと思い出した。

しまりんと大垣がその予定地を見に行くと、そこへ各務原なでしこがやってきた。ピンク色のゴールデンレトリバーみたいなヤツだ。なんか違うな・・・。ゴールデンレトリバーなんだけど、人間としている時、髪がピンクってだけだ。各務原なでしこが友人の名を呼ぶとき、彼女の持つうれしさが大気へ広がって行っているように感じる。

しまりんは不用心にもカニ鍋に笑みをこぼす。しまりんは私たちに対して(私たちがあの世界に居たとしても私たちに)意図的に微笑みかけたり、ジョークを言ったりはしないが、景色でも食事でも、真っすぐと物に向かったときの態度や表情は、たくさんのメッセージを周りに与えている。つまり、何かに楽しそうにしてるしまりんをみて、自分たちはしまりんを知ることができるし、そのしまりんが私たちは嬉しい。

各務原なでしこが車を運転している横顔のシーンはとてもいい。あんなあたふたしていた彼女がわたしを送ってくれている!(主観カメラだから、その時だけ勝手にわたしになりました。)

ときさんの声質は重たい。出会ったばかりの頃に何か選択肢・発言を踏み間違えると、一気に信頼度を失いそうな印象がある。高校生だった彼女らが職業を持ち、制服を着て、特定の店、場所で働き、生活している。

 

みんなが鎌を持ち草を刈っている。こういう女性たちの活動を見ると地域の母会から始まった活動に見かねた男たちが、別の男を呼んだり、重機を持ち出したりして、日ごろの仕事で慣れている人々が彼女らから経験を奪う光景を思い出してしまう。

彼女らを”女性たち”と呼ぶとフラットすぎるというか、自分の中から何かしらの栄養が失われて行くのを感じる。彼女らは女性たちではあるが。

 

これからカラオケに行かなければならないから、適当に端折ってキャラについて語ろう。

・志摩リン
いつの間にかじぶんひとりで楽しんでいたり、精一杯になる傾向があるものの、その視界の外で助けてくれていた同僚に気づく。ただし、彼女の才覚が広がれば、広がった才覚の端が仕事にも大きな利点になることが見えている同僚はそのしまりんの良さを見越して、自由に仕事をさせているようにも見える。志摩リンの周りの人への甘んじたくなさと、周りの人々が彼女を助けたくなるような天質というのが相乗効果を生み出す気がする。
各務原なでしこ
自分が高校生のときにキャンプを通じて広げられた色々な価値を知っていて、それを伝えられる職に就いている。彼女の天真爛漫さはいつどこでも幸福を生み出している。言葉が要らないくらいに、幸福を一身に受ける才能がある。
斎藤恵
彼女の性格や人生にちくわというペットが大きく根差している。彼女が排気口の集まる店裏に居るとき、その無機質さは強調されている。あの背景は店内/店外とで、彼女の世界の見え方のメタファーのよう。河原で老いたちくわの、家族である生物としての温かさを感じるとき、その裏に冷たくなる未来を感じ取っている。高下ではしゃいでいたことを話すとき、この今は疲れていることを実感している。と言うと広げ過ぎだけど、作品のテーマである成長の中に、共に老いや死が含まれていることを、美しい背景の中、かわいいペットを通して、存在させる意図が無いとは思わない。ちくわを失ったとき、彼女の周りの人間は支え、声をかけるが、彼女とちくわの間にあった圧倒的な関係を侵犯することはしないし、出来ないだろうなと思う。彼女は立ち上がることをするだろうが、それは彼女がちくわが生きていた頃から十何年を通して向き合ってきたからというだけのようにも思う。(何の話?)彼女がドッグランを作ることは神殿を作るようなもので、ドッグランは祈りと共に完成した。
・犬山あおい
何かの尾を引いたように教員をしている。30を前にして退職して主婦になっていてもおかしくない。彼女が教員を楽しむことは、教えるということ以上に、生活の中にとある関係性を存在させることを求めているだけのよう。ただ、彼女の教員生活は自身が求めているものと向き合うだけの時間を与えたのように思えるが、閉校式を終えても彼女には踏ん切りがついていなかった。学校を遠い目で見ているとき、望郷の念は学校の器具へ写されていたが、それがキャンプ場の用品として再生したことによって、どうなったといえるだろうか。
・大垣千明
イベンターを辞めて観光系の職に就いた。初の転職組。”この仕事は何か違うな”と思ったとき、転職を自分で決断できるタイプの人間。しかし、どこかに向かい、目的の達成にひとりで行えるほど勇敢でも、直観があるわけでは無い。楽しさを追い求める資質と、配慮からコミュニケーションを先行する姿勢が、皆を呼び寄せる場を一時的に設けることを可能にしている。道化を演じることや、利己性への理解があり、それを踏まえた真摯さの価値を知っている。

この感想は自分のみた印象の中から適当につなぎ合わせられたものだから、見返したら無いことばっか書いてそうだ。